東海愛知新聞に寄稿 ─桜城橋について


2020年3月22日、岡崎市市街地の乙川にかかる人道橋「桜城橋」が完成しました。

額田産のヒノキで覆われたこの橋の社会的意義について東海愛知新聞に寄稿を行い、3月20日~21日の2日間に分けて掲載されました。原稿をこちらでも紹介します。

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岡崎市の乙川にかかる人道橋・桜城橋が数年に渡る工事を経ていよいよ開通しました。橋と言っても幅16m、長さ約120mという巨大なもので、大きな公園が川の上に出来るという表現の方がイメージしやすいかもしれません。表面や欄干は岡崎市産のヒノキで木装化されており、一部は私が額田地域の山から伐り出した木も使われているため、完成をとても楽しみにしています。一方、何十億円もかけてこんな橋を作るのは税金の無駄遣いだという批判も耳にします。この橋が持つ社会的意義は何なのでしょうか。乙川の水源である額田の森で活動するものとして、また一人の岡崎市民としてその背景にあるものをお伝えしたいと思います。

今、三河に限らず全国の山を車で走ると、そのほとんどは木で多い尽くされており緑豊かな印象を受けますが、こうした姿は実はこの半世紀ほどの間に出来上がったものです。トラクターや化学肥料が使用される以前、山は牛馬の飼料やたい肥の供給源であり、その多くは木の生えない草地・はげ山でした。終戦後、戦災からの復興に向けてここにスギ・ヒノキが大量に植えられました。そうした木がすくすくと育った結果が今の山の姿であり、日本はいまだかつてないほどの森林資源を山に貯えた時代を迎えたのです。

植えた当初、50年も経てばこうした木が建築用材として使えるようになり、山村は豊かになると信じられていました。しかし、残念ながらそのようにはなりませんでした。一つの原因は戦後にライフスタイルの大転換が起きたことです。建築には金属とコンクリートが使われるようになり、日々の調理や暖房も炭・薪から石油・ガスに転換され、木材の需要が激減したのです。もう一つの原因としては、よく言われることですが海外から木材が入るようになったことも影響しています。木材は前回の東京オリンピックが行われた昭和39年に関税が撤廃され、木材輸入は急激に増えていきます。需要が減っていく中で供給が増えれば当然価格は下がります。最近の丸太の値段は、一番良かったころに比較すれば5分の1くらいまで下がってしまいました。結果として林業が経済の柱であった山村は大打撃を受けました。例えば今年200万円で売れている車が、将来40万円でしか売れなくなったら日本の経済がどうなるかを考えていただければ、この半世紀の間に山村で起きたことをイメージできるかもしれません。

林業が厳しくなっていく過程で「山主の山離れ」が進行していきました。手入れをしない、あるいは手入れが必要かどうかも分からない。また代替わりして、そもそも山がどこにあるかもしっかり把握していないという山林所有者が増えていきました。結果、山は手入れされないまま放置され、その環境は劣化していくことになります。

最近はよく知られるようになりましたが、人工林は木の成長に従って本数を減らしていく「間伐」が必要です。間伐の遅れた山では木が十分に光を受け取ることができず、横に太れないまま成長していくためヒョロヒョロともやしのような状態になってしまいます。昨年の台風15号によって千葉県で大きな被害が出たのは記憶に新しいと思います。あちこちでこうした弱った木が倒れ、電線や道路が寸断されて生活に大きな支障が生じました。手入れ不足の人工林が災害による被害を増幅していることが表面化した出来事でしょう。

また、水環境という視点からも森林の荒廃は大きな問題をはらんでいます。「緑のダム」という言葉を耳にしたことがあるかもしれませんが、森林は雨を地中にため込む働きを持っています。これは森林の複雑な土の構造によるもので、植物の根っこや腐葉土が複雑に積み重なった森林土壌はスポンジのような吸水力を持っており、大雨が降ったときでも一度に水が流れるのを防ぎ、一方で一度ため込んだ水はゆっくりと流れ出るため川の流量の変化をなだらかにしてくれるのです。岡崎市は上水道の約半分を乙川から取水しており、乙川の水源は額田の森です。つまり岡崎市は自分の敷地内に森という巨大な貯水タンクを持っているということです。降水量が少なく、近隣の自治体が節水・断水する状況であっても岡崎だけは影響が少ないのはこうした水環境の豊かさの表れです。

ただし、水源涵養といわれるこうした働きは良好な環境の森林でのみ発揮されるものです。間伐の遅れた森では林内に光が入らないため、草や低木といった下層の植生がほとんど絶えてしまいます。外から見ると緑で覆われているように見えますが、そのマントの下では土がむき出しになっているのです。緑の砂漠ともよばれるこうした森では雨が降ってもすぐ水が流れてしまい、また土壌の浸食・流出も起きていきます。近年頻発する洪水や土砂災害は、人工林の荒廃が一因となっていることが指摘されています。

森を守ることは生命の源である水を育み、また私たちの暮らしを災害から守ることでもあるのです。裏を返せば今のように森林を荒廃したまま放置することは、その所有者や山村だけの問題ではなく、その流域に暮らす市民全体にとっての問題といえます。それでは間伐を推進し、森林環境を改善するために何が必要なのでしょうか?

林業に携わる、あるいは森林ボランティアに関わるといった直接的なアプローチはありますが、なかなかハードルが高いのではないかと思います。私たち山側の人間が街に暮らす方に期待することは、もっと木材を使ってほしいということです。需要が増えれば再び山に目が向くようになり間伐は推進されていくでしょう。豊かな森林資源をすぐ近くに抱えながら、なぜこれほどまで海外から木や石油を持ってきて使う必要があるのでしょうか。それは目先の利便性や経済性の観点では正しいかもしれません。しかし地球環境や水資源の確保、災害のリスク低減、あるいは地域経済の循環といった大局的な観点から見れば巡り巡って自分たちの生活や地域を危険にさらす行為ではないでしょうか。

額田のヒノキで木装化された桜城橋が乙川に架かることは、森と水が豊かな岡崎市の象徴と言えます。それは決して観光客を目当てにしたハコモノ公共事業ではなく、自然環境と共生する持続可能な地域の実現に向けた未来への投資であり、岡崎市民がそうした社会を目指しているという表明ともいえるでしょう。木の温もりに満ちた桜城橋を渡りながら、乙川の上流にある額田の森に思いをはせていただければ幸いです。

東海愛知新聞に寄稿 ─桜城橋について” に対して2件のコメントがあります。

  1. 鈴木建一 より:

    唐澤さんありがとうございました。今、緑区で建築中のあおぞら学童は木工事の終盤ですが、運び入れた木材の量は4t車で10台分あります。タイトなスケジュールですが皆様の力で何とか間に合いそうです。これからもよろしくお願いします🙇⤵

  2. 後藤拓司 より:

    地産地消が自らの生活を豊かにすることを実感しました。私は2年前に岡崎市の友紀建築工房で自宅を建てて頂きましたが、三河杉の無垢材を床材に使用しました。冬暖かく、夏はサラサラで柔らかな感触が寛ぐ時間を豊かにしてくれます。日本人はなぜ、豊かな資源を忘れてしまったのでしょうか。

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